【刺 針】 2008年8月21日付
東京オリンピックといえば1962年である。今から46年前だ。白黒のテレビだった。
女子バレーや体操、円谷選手のマラソンなどまだ鮮烈な印象として記憶に残っている。
とはいえこのオリンピックを思い出せる世代も今や50歳代以上だろう。
オリンピックはスポーツを通した平和の祭典である。国家や言語、宗教、民族の境目を取り払って、万国=というより地球丸ごと=がひとつの輪になる理想の体現である。
東京オリンピック、筆者は10歳になろうかという年代だったが、子ども心にも、オリンピックの理念はやがて本当となり、この地球上から民族の争いや近代兵器によって人々が死んでいく戦争がなくなるのかもしれないと期待を抱いた。
しかもそれは淡い期待などというものではなかった。閉会式の入場では民族を超えて選手たちが世界に向けて(この時、世界で初めて衛星放送が始まった)、肩を寄せ合い、笑顔を見せ行進する様子が発信されたのである。あの感激は一生忘れない。
その時、いつかきっと世界はひとつになって、飢えも戦さも貧富の差もない地球になるはずだと思った。
ところがどうだろう。この半世紀、世界では相変わらず民族間の紛争や飢えに苦しむ人々が絶えない。
だからいつしか人々は、オリンピックがその時には世界をひとつにしても、終わってしまえば砂上の楼閣のように情熱が冷めていくことがわかってきた。
今回も北京オリンピックが始まったその日にロシアとグルジアの紛争が勃発したことが、このことを象徴的に明示している。
子どもの頃にオリンピックとともに抱いた理想は、やがて幻滅となった。この失望感はいまだに続いているというのが、正直、本音である。
だがこれでは世界にはこれからも平和はやってこない。子どもたちがオリンピックに抱く夢を本当のものにしてやりたい。大人の責任は大きいのに、地球は相変わらずひとつになれないままである。 (浩)