【刺 針】 2008年9月2日付
格差社会の到来、下流社会の出現といった言葉が登場して久しい。
一時はメディアに毎日のように取り上げられたが、最近では以前ほどではなくなってきている。
実際に格差や下流を意識しているのかどうなのか、階層的に格差が開いているのか、下流層というのがどのくらいいるのか、統計的にははっきりしたものではない。
だが時代の空気は、なんとなくそのような層が存在しているようには思えるし、この急速な物価高騰や経済の減速感から、社会の中に所得格差や購買意欲にも差が生まれてきているような気もする。
むしろ格差や下流といった言葉が何気なく新聞やテレビ、経済分析の評論など登場していきているのを鑑みると、この言葉が定着して現実化しつつあるのかと思わないでもない。
下流社会という言葉は社会学者の三浦展氏が定義したものである。「下流とは、単に所得が低いということではない。コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである。その結果として所得が上がらず、未婚のままである」とある。
格差社会の分析は山田昌弘氏(中央大学教授)が行って、大きな反響を呼んだ。
その山田教授が経済雑誌(週刊ダイヤモンド)で、「すでに下流から一歩進んで『下層』が形成されつつある」と指摘している。「下流は生活の意欲がない人といえるが、下層は人並みの生活ができずそこから抜け出せない人」と定義し、格差の固定化を危惧している。
こういった層が生まれないようにするには、政治的な施策が欠かせないが、最近ではどことなく一般の生活感覚からますます遊離しつつあるのではと感じる政治家たちに、はたして階層社会の出現を食い止めることが可能だろうか。どうにも心もとないのだが……。(浩)