【刺 針】 2008年9月3日付

 旧士別市と旧朝日町が合併し、新市「士別市」となったのが、05年9月1日のこと。
 新市誕生からちょうど3年が経過した。

 申請「士別市」が誕生した日に士別市役所前で行われた開庁式では、市庁舎の屋上から「新生『士別市』誕生」「天塩の流れとともに人と大地が躍動するすこやかなまちをめざして」と書かれた懸垂幕が降ろされた。

 当時、市長職務執行者だった武市昇氏は「地域の自主性を重んじ、生き残りをかけて合併を選択した。貴重な資源を共有しながら、新市の将来像の実現に向けて、市民一丸となってまちづくりを進め、道北の中核都市として発展することを信じている」と式辞を述べた。

 この3年の間に、われわれのふるさとはどのように変わってきただろうか。
 合併時に2万4005人いた人口は、1100人以上も減少。特に朝日地区は160人ほども人口が減少し、減少率もこの3年間で約9%ほどにもなった。

 その一方で、それまで行政区制度だった朝日地区が自治会制に移行し、住民主体の地域づくりもスタートしている。
 市政全般では、医師不足によって市立病院の経営が急激に悪化。新市誕生時には、予想もできなかったことである。

 また、地域経済も長引く景気の低迷にあえぎ、少子高齢化の弊害もあちこちで出てきている。
 市町村合併もそうであったように、新市誕生後においても社会の大きな波に、小さな地方都市が翻弄(ほんろう)されてきたかのようである。

 ただ、合併からの3年間を振り返ってみると、二つの自治体が一つとなり、新たなまちづくりの歩みを始め、ここに来て住民の融合と一体感が感じられるようにもなってきている。
 いまの社会情勢を見わたすと、まだまだ難問が山積し楽観できるような状態にはないようだ。

 ふるさとの姿を変えた合併の成果を求めていくには、これから先も相当な時間を要していくことだろう。

 それでも、ここに住む一人ひとりが一つにまとまりとなってまちづくりにまい進していけば、将来は素晴らしい地域となっていくこと信じていた。

 この3年間で培ってきた融和と一体感を土台に、よりより地域を目指していきたいものである。 (功)