【刺 針】 2008年5月4日付
先日、あるところで中年男性が数人集まったとき、最近の「遊び方」について話題となった。
「われわれの子どものときは、ゲームなどもなく、とにかく自分たちで遊びを探し楽しんでいた」「最近は、子どもも大人も用意されたものがなければ遊べなくなってきている」などなど、愚痴っぽい会話ながらも、けっこう話しが弾んでいた。
以前、あるイベントを開催したとき、その募集要項には集合場所を記しただけで、その場所の地図などは一切載せず、「集合場所は、地図で探し自力できてください」「食事は各自で用意」「遊びの責任は、自分で負う」と書いておいたことがあった。
至れり尽くせりで、遊びの舞台を用意するいまの風潮からすると、かなり不親切な要綱ということになるのだろう。
案の定、「要綱に地図くらい載せるのはあたりまえだ」「道中に、案内看板を立てておけ」「お金は払うから食事を用意して」など、お叱りの電話が相次いだ。
ある程度の予想をしていたとは言え、遊ぶことにさえも自ら行動することに抵抗感を持つ人が、けっこう多かったことには驚いた。
お金を出せば、それ相応のサービスを受けることができる時代。
何もかも用意をしてくれ、身一つで楽しく遊ぶことも可能となっている。
こうした状況が日常的になってしまうことで、「自分のことは、自分でする」といった意識が、どこか遠くへ行ってしまっているような気がしないでもない。
われわれが子どものころは、自ら遊びを考え、その準備さえも楽しんでいた。そうしなければ楽しむことができなかった。なんとクリエーティブなことだっのかと思える。
せめて遊びくらい、自分の責任で楽しみたいと思うのは、年を重ねてきたせいなのだろうか。 (功)