今年も春の彼岸がやってきた。お彼岸といえばボタモチだが、私はボタモチが苦手だ。
と言っても別に嫌いというわけではないし、食えば美味いとも思うのだが、どうにも違和感があるのだ。
だいたい何ゆえにつぶれたご飯にアンコをつけて食わなきゃいかんのだ! 米の飯にはなんといってもしょっぱいオカズが一番である!!(←多分に超個人的意見と思われる)
しかもそんな私に追い討ちをかけるような出来事があった。
それは数年前の秋のことである。
残暑厳しいその年のお彼岸に作った「おはぎ」は翌日には痛みかけていたのだ。私はなんとそれに気づかずにおはぎを口に入れてしまったのである。うお〜すっぱい。糸もひいてるよぅ(涙)
しかしその瞬間、私の中である謎が解けたのである。
それは昔から常々納得がいかん! と思っていた「棚からボタモチ」という<RUBY CHAR="諺","ことわざ">についてである。
この諺の由来は「寝ていたら棚からボタモチが落ちてきて巧い具合に口の中に入ってラッキー♪」とのことだが、はたしてそれがラッキーなのだろうか? 私などちっともラッキーだとは思えないのだが……ちょっと想像してみてほしい、あなたが昼寝中にいきなり口に中にボタモチを突っ込まれたとして、それって<RUBY
CHAR="嬉","うれ">しいか?! これは別に私がボタモチを嫌いだから言うわけではない。どうせ食べるなら起きているときにお茶でも飲みながら食いたいではないか。
私が思うに、この諺のシチュエーションとしては「戸棚にしまったまま忘れていたボタモチを発見し、あらぁ、まだあったんだワ!ラッキー!!」というのが最適かと思われる。
さらに言わせてもらえば「なぜボタモチなのか?」ということである。なぜ「おはぎ」じゃいかんのだ! 呼び方が違うだけで同じものじゃないか。
その答えが、私の食べてしまった痛みかけた「すっぱいおはぎ」にあったのである。
ボタモチとおはぎ、それは同じものだが季節によって呼び名が変わるものである。春のお彼岸には春の花である牡丹になぞらえてボタモチと呼び、秋のお彼岸には秋の花である萩になぞらえておはぎと呼ぶ。
そこをふまえて考えるに例の諺の舞台はまぎれもなく春のお彼岸頃であろう。
春ならば気温的に数日くらい忘れていても腐ってはいないだろう。だが秋のお彼岸ごろならば……? 残暑の厳しい秋ならば痛みも早い。そう、「棚からおはぎ」ではすでに痛んでいてラッキーとは言えない状態であることが予測されるのである!!
う〜む、こんな奥深い真実があったとは……まったく諺とは侮れないものである。
ま、酸っぱくなったおはぎを食っただけでここまで思考に耽ることができる自分にも笑いますがね。(笑)