天塩川剣淵原野植民地の区画整測設(明治39年)
黎明期
 士別地方には、縄文時代(5〜8千年前)の石器や縄文土器などが多寄遺跡・上士別遺跡・九十九山付近から多数出土しています。
おそらく遠く先史時代からこの地方には、先住民族が永い間生活の場として狩猟などを営んでいたのでしょう‥
 (記録として残っている)この土地に足を踏み入れた近藤重蔵は、1807年(文化4年)天塩川をさかのぽり石狩川上流へぬける途中に通っています。彼の残した
「天塩川川筋周一に」は「ケヌフチ」「ナイタイベ」
などの地名が記されていますこ。その後50年後の1857年(安政4年)の夏、松浦武四郎は、4人のアイヌの人達を道案内として丸木舟で天塩川をさかのぼりました。その踏査記録
「丁巳天之穂日誌」には「ケネプチ」「ウツ」「ハンケヌカナン」などの地名が記されています。
 士別の語源となった「シユペツ」は、親川のことで天塩川本流を意味しています。