小説家・三浦綾子さんが多くの名作を生んだ旭川の旧宅を、小説の舞台である和寒町の塩狩峠に復元した「塩狩峠記念館」が完成し、5月1日からオープンしています。建築する際には有志により保存されていた構造材を使用し、当時の生活空間を可能な限り再現しています。作品に関する資料パネルや貴重な資料を数多く展示し、家具や小物など提供を受けた数多くの愛用の品も手に触れることが出来ます。また病で不自由な三浦さんにかわって夫が文を綴っていく口述筆記も体験でき、誰もが身近に三浦文学に触れることができる施設です。 (以下は町作成のパンフレットからです) ◆案内 | |
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![]() 作家三浦綾子さんの小説「塩狩峠」は、明治42年2月28日の夜、汽車が峠の急勾配にさしかかった時に客車最後尾の連結器が離れ、逆降暴走した際に当時国鉄職員であり、乗客であった長野政雄が自ら車輪の下敷きになって乗客の命を救った事実をモデルに書き上げられたもので、JR塩狩駅構内には「長野政雄殉職の地」顕彰碑が建立されています。 | |
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![]() 朝日新聞社の1千万円懸賞小説に「氷点」が入選し、手狭になったため昭和44年に現在の住居に移転し旧宅は、現旭川めぐみ教会に寄贈され24年間にわたり使われてきましたが、平成5年に老朽化を理由にとり壊されることになりました。 しかし、この旧宅は、作家三浦綾子誕生のきっかけとなった「氷点」をはじめ、「塩狩峠」、「道ありき」などの代表作を執筆した家であり、三浦文学の原点となった家でした。 とり壊し開始目前に開催された解体式に三浦夫妻も出席し旧宅との別れを惜しまれ、その姿を見た出席者から「ただ解体撤去してしまうのは惜しい」という声が相次ぎ、保存の会が結成され、解体保存が決定しました。 以来4年、柱や梁、鴨居などの構造材が保存され、復元する場所を検討されてきましたが、三浦作品のなかでも「塩狩峠」が最も読まれているということから平成9年7月に三浦夫妻と和寒町が合意し、平成11年に節目となる100年を和寒町が迎えたことから記念事業の一環として実施したものです。 | |
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![]() 復元にあたり、記念館としての建築基準法に基づき階段を緩やかにしていますが保存されていた構造材を可能な限り使用し、この建物が建てられた時から今日まで刻み込まれてきた時間と空間のイメージを大切にして建設されています。 |