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第43回士別市読書感想文コンクール
 中学生・最優秀賞

素直な言葉から理解者までへと続く道
士別南中学校1年 西尾 愛

 この本を読んだ時、彼の両親や学校の先生の態度には驚きや感心という様な気持ちが多かった。まえがきの所からも、障害のある子供が生まれたと聞かされた母が、実際に見た時口にした「かわいい」という言葉が強く印象に残った。そして感動さえも感じられた。私だったら。という考え方を多く感じさせられた。
 幼児期・小学校時代。私にもこういう時代があり、いろんな思い出もあるので彼のこの時代の話には興味があった。生まれつき障害がある彼に、母は小さい頃から近所に連れて歩き、人気者になっていったが、本当にかわいいと思う人もいただろう。でもその中には、いくら大人であっても障害者=特別視という、ただ単に一般的な子供とは違う所が珍しいという面で見ていた人もいただろう。社会に出るとそれが多くなり、一般的に違う所からさまざまな所で拒否される事もあるだろう。それが一つの例として、小学校である。彼の両親は「養護学校よりも普通教育を受けさせたい」と何校か当たったが、言えば「門前払い」だという。この世に偏見がなければ一部がだめでも周りが認めてくれるかもしれないのにとも思った。でも自分の為だけに今があるとは限らないからそれは少し難しい事なのかなぁとも思う。でも「入学許可」をもらった瞬間、諦めかけていたこの結果は本当に嬉しいものだっただろう。
 小学校の時の先生は、クラスメート、そして彼に対する悩みは少なくはなかっただろう。でも先生の言葉は、正しい意見だったと思う。そして「クラス」ができ上がるまでの壁を先生も彼自身も乗り越えることができたのではないかと思う。
 五年生になって担任の先生は代わったが、私も経験してきたが高学年になると、全てが「皆と同じ」にはならない。でもその時の先生も間違ってはいなかったと思う。今まで四年間一緒だった仲間。理解してくれた仲間。体も心も大きく成長した今では必ずどこかが違ってきてしまう。そんな中、クラスメートと彼の気持ちを理解して行動にうつす事ができる先生はすごいなあと思った。
 中学校時代。私にとって、これから、という時代でもある。部活に関して、初めは勉強よりも楽しみだった部活が、今では練習はきつくなってきて、体は痛くて、好きで楽しみで入った部活も、嫌だと思う気持ちが多くなってきてしまった。すごく甘く見ている所が多かった。でも彼は私とは違っていた。自分への新しい挑戦。諦めない心。うまくできない時の悔しさ。そして成功した時の喜び。どれも新鮮に感じる。すぐ楽な方へと逃げようとする私は、彼の様にできたらいいだろうなあと思うようになった。できないから練習をする。それは自分にとって一番に得られたこととなるだろう。卒業アルバム。笑っている自分の笑顔は、みんなからの贈り物だという彼の言葉に私は感動した。高校時代の部活はアメリカン・フットボール部。入りたい。そう思った瞬間から、反対されても「入りたいから入る。そこに『障害』という二文字が浮かんでこない」という彼の部活に対する思いや考えに、私はすごいなぁと感じた。選手として活躍できない分、対戦相手のデータを集め試合に活かすというのはすごく重要な事だし、この部の一員として彼は欠けてはならない存在だったにちがいない。
 将来の夢。人間であれば一度は必ず大きくなったら◯◯になりたい。そう考えるはず。「自分で考える」という知恵が付くと小さい子供でも考えられる。小さい頃は、単純であまり難しい事は考えなかった。でも最近になって自分は何をやりたいのか、自分は何が好きなのかがわからなくなってきて、少し焦ってきている。時々、あぁいいなと思う事もあるけど、彼も言う様にただ憧れていただけで、「かっこいい」と思うだけだったのかもしれない。その仕事を職業にしている人に申し訳なく思えてくる。将来は好きな事ができたらいいなと思う。今の自分にはこんな答えしか出すことができない。この今の思いはいつか変わるだろう。でも自分が思うまま、進んでいけられたらいいなと思う。
 私達にとって障害を持つ人の気持ちは、はっきり言ってわからない。でも障害があるといっても、その人自身の特徴なんだと考えれば私達と同じ人間だということには変わりはない。世界に自分は一人しかいない。それを生かして、自分らしくいればいい。差別や偏見を全て無くすという事は難しい所もあるが、皆と違う所があって当たり前なんだから、認められる心が大事なのだろう。小さい子が素直に「どうして?」と言える言葉から、障害を持つ人への理解が多く得られるのかもしれない。素直に言葉にして出せない私達にとってすごく単純な言葉がすごい力を持っている様な気がする。