![]() 第2次世界大戦の傷跡がようやっと癒えはじめた昭和20年代末、昭和30年代から半生期が経過しました。この間、道北地方も大きく変遷を遂げました。自治体合併論議や農協合併の具元など地域の枠組みも新しい時代の到来を予感させています。そこで本紙では50年前の道北日報紙面をひもとき、この地方の動きを見つめ直してみたいと思います。なお、この連載は随時掲載します。 50年前の道北日報紙面から |
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■昭和28(1953)年 8月 自治体広域での釣り大会も
▼8月27日付=士別保健所が衛生教育の不況のために、この地方を回り映画会を行う。この時代、衛生思想の強化はまだまだ欠かせなかった。 ▼8月27日付=士別市の文芸懇話会と公民館が共催で、士別地方演劇コンクールの開催を決め、参加を呼びかける。この主旨は水害で痛手を受けた被災者を慰問しようというものである。この地方に与えた水害による被災者への精神的な打撃への大きさもうかがわせる。 ▼8月30日付=除虫菊が大暴落となった。士別でも栽培農家がおり、農民の表情は暗い。時をそれほど待たずして除虫菊の栽培は農地から消えていくことになる。 ▼8月30日付=士別、名寄、美深の恒例による3町対抗釣り大会が智恵文で行われるため、その参加者を募集している。今では考えられないが、この時代、親睦行事とはいえかなり広範囲での自治体連携が存在していたのである。 【広告余話】=この当時の広告を見ると、ラーメンは50円である。ラーメン一杯で層雲峡温泉招待券というのもある。電話番号は「515」といった3ケタ。士別町林産芸術協会というのがあって、工芸品の展示会が行われている。今では皆無だが畳替えや製材関連の広告も多い。士別紡績株式会社というのがあって、めん羊飼育の生産者に羊(原毛)の買い入れを呼びかけ、毛糸の販売も行っている。 |
■ 01 病院全焼、未曾有の洪水 |