![]() 第2次世界大戦の傷跡がようやっと癒えはじめた昭和20年代末、昭和30年代から半生期が経過しました。この間、道北地方も大きく変遷を遂げました。自治体合併論議や農協合併の具元など地域の枠組みも新しい時代の到来を予感させています。そこで本紙では50年前の道北日報紙面をひもとき、この地方の動きを見つめ直してみたいと思います。なお、この連載は随時掲載します。 50年前の道北日報紙面から |
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■昭和29(1954)年 3・4月 合併か自立か、切迫化 ▼3月12日付=現在と同様に盛んに合併論議が行われれてはいるが、実態は進展せず。士別町も周辺3村も財政は厳しい状況。▼3月17日付=本社5周年記念事業の「ドッグレース」。出場犬は30頭。距離を決めてコース内を走るレースで、子犬や中型犬、大型犬などの種別がある。今では考えられないほのぼのとしたイベント。 ▼4月7日付=上川支庁で4ヵ町村の合併問題を協議。 ▼4月18日=温根別村の合併について、上川支庁の関係者は「現在の段階としては(温根別村は)3町村との即時合併は不可能であるが、実質的には対等の合併で受け入れたい。財政の面では3町村よりも4町村の方が弾力的に運用される」との談話が載っている。合併の基本的な考え方は50年前も今日も変わっていないことをうかがわせる。 ▼4月18日=昭和の左甚五郎と評された士別市出身の彫刻家、阿部晃工氏の近況が報じられている。 【広告余話】 「マンノー電球」というのがあって、ヒモひとつ引くだけで3段、4段に切り替え自由、点滅自由―という広告があった。「マンノー」というのは「万能」という意味。士別に「坂のビスケット」工場があった。その商品広告のなかで、工場の住所は「士別市豊岡通り」。豊岡通りといわれても、ピーンとこない。どこなのだろう。 |
■ 01 病院全焼、未曾有の洪水 |