![]() 第2次世界大戦の傷跡がようやっと癒えはじめた昭和20年代末、昭和30年代から半生期が経過しました。この間、道北地方も大きく変遷を遂げました。自治体合併論議や農協合併の具元など地域の枠組みも新しい時代の到来を予感させています。そこで本紙では50年前の道北日報紙面をひもとき、この地方の動きを見つめ直してみたいと思います。なお、この連載は随時掲載します。 50年前の道北日報紙面から |
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■昭和29(1954)年 7月 1日に1人増える時代:町村が合併し士別市が誕生
▼7月1日付=町村合併となって、士別市が市制執行となる。人口約3万8500人、戸数は6670戸。戸数は今より2500戸ほど少ないが、人口は1万5千人も多い。1世帯の数がいかに多いか、これでわかる。 ▼7月20日付=数十年振りという干ばつに見舞われる。士別駅が士別神社祭で賑わう。3日間で約11000人を数えている。この頃、お祭りは親戚縁者が往来を繰り返す催事でもあった。 ▼7月24日付=士別市の人口動態で6月は1日に1人増える。この時代も就職難、職安士別には連日職探しの人で賑わいをみせる。 ▼7月27日付=例年にない干ばつでヤミ米の価格が高騰。結核予防週間始まる。前の年は800人の患者が発生している。 ▼7月31日付=赤痢の発生が懸念され、士別保健所は懸命に予防のための啓蒙を行う。衛生状況はまだまだ良いとはいえず、この時代はまだ伝染病の阻止が大きな課題となっている。 【広告余話】演芸会・コンクール・宣伝行・オク山の擴聲器ハ、電氣ガナクテモヨクナリマス」という広告があった。「サービスも悪いが、すべてが康いと……」の文面の広告が、次回には「サービスも良いが、すべてが康いと……」に変わっている。「悪い」と「良い」ではまったく正反対。どういう意図があったのだろう。夏の味覚に「みつ豆」というのもあった。「みつ豆」が広告になる時代だった。 |
■ 01 病院全焼、未曾有の洪水 |