![]() 第2次世界大戦の傷跡がようやっと癒えはじめた昭和20年代末、昭和30年代から半生期が経過しました。この間、道北地方も大きく変遷を遂げました。自治体合併論議や農協合併の具元など地域の枠組みも新しい時代の到来を予感させています。そこで本紙では50年前の道北日報紙面をひもとき、この地方の動きを見つめ直してみたいと思います。なお、この連載は随時掲載します。 50年前の道北日報紙面から |
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■昭和29(1954)年 8・9月 浅野さんが全国大会に:市制施行でミス士別コン
▼8月4日付=士別市長選挙が行われ、初代市長に三浦満吉氏が当選。▼8月15日付=新しい市を紹介するための自治庁主催による「ミス新市審査会」が行われ、ミス士別などが決まっている。94人もの候補があがり、職業もバレー教室講師、教員など様々。ミス士別は東京での全国大会に臨む。 ▼9月7日付=士別市制施行の記念事業が行われる。祝賀パレードやダンスパーティー、仮装行列、提灯行列、全道サイクル・レースというのもあった。 ▼9月18日付=コロムビア主催の第5回国民歌謡コンクール大会で、士別の浅野博さんが全道出場6人の中の1人に選ばれた。将来の歌謡界のスターになるのでは、市民からも期待を一身に背負っていた。その前途は洋々だった。ところがこの後で浅野さんには市民を悲嘆にくれさせる大きな悲劇が待っていた。 【広告余話】パチンコ店の特別2重サービスというのがあった。遊戯中に赤の玉が出ればウイスキー、青は焼酎、黄色はキャラメル、白はガムがもらえる。中古車販売の中に「オリエント」という会社の車があった。3万8千円である。オートバイはライナン、ガップ。 |
■ 01 病院全焼、未曾有の洪水 |