![]() 第2次世界大戦の傷跡がようやっと癒えはじめた昭和20年代末、昭和30年代から半生期が経過しました。この間、道北地方も大きく変遷を遂げました。自治体合併論議や農協合併の具元など地域の枠組みも新しい時代の到来を予感させています。そこで本紙では50年前の道北日報紙面をひもとき、この地方の動きを見つめ直してみたいと思います。なお、この連載は随時掲載します。 50年前の道北日報紙面から |
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■昭和29(1954)年 9・10月 浅野さん、洞爺丸とともに海底に:悲嘆にくれる市民 ▼9月24日付=この頃の市内の自動車総数は192台。このうち普通乗用車は71台、トラックは50台。モータリゼーションの幕開けにはまだまだ。 ▼9月28日付=9月26日から27日にかけて士別を襲っ台風15号。商店の立て看板はこどごとく吹き飛んだ。いたる所で屋根柾(マサ)が削り取られ、「柾ブームの珍現象が起きた」と記されている。 ▼10月3日付=東京の日比谷公会堂で行われたコロムビアの全国都道府県別対抗の歌謡コンクールに北海道代表 のひとりとして出場予定だった浅野洋司さんが、上京のために乗り込んだ洞爺丸が台風15号よって沈没し、夢果たせぬままに海底に沈み客死した。この事故が士別市民与えた衝撃は多きく、士別は大きな悲しみに包まれた。本紙でも「浅野君を偲ぶ」といった追悼文や追悼コンクールの計画などが掲載されている。コロムビアは出場果たせなかった浅野さんに特別賞も贈っている。この悲劇は北海道の歌謡史の中でも語り継がれている。▼10月6日付=士別出身のギタリスト小原安政氏のスペイン留学が決まる。台風15号の農業被害は約1億円に及んでいる。 【広告余話】 当時はラジオ無料修理・診査というのがあって、ラジオの無料相談や購入の相談に応じた。ラジオは当時のハイテク機器。一家に一台、欠かせぬ重要な情報媒体だった。料亭の広告なのか、よせ鍋、ちり鍋、たたき鍋、さか鍋(これは何の鍋なのだろう)といっしょに「サービス陣がそろいました」と7人の女性の名前が列挙されている。眉目秀麗な女性の酌で酒を飲み、鍋をつつくのだろう。 |
■ 01 病院全焼、未曾有の洪水 |