![]() 第2次世界大戦の傷跡がようやっと癒えはじめた昭和20年代末、昭和30年代から半生期が経過しました。この間、道北地方も大きく変遷を遂げました。自治体合併論議や農協合併の具元など地域の枠組みも新しい時代の到来を予感させています。そこで本紙では50年前の道北日報紙面をひもとき、この地方の動きを見つめ直してみたいと思います。なお、この連載は随時掲載します。 50年前の道北日報紙面から |
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■昭和29(1954)年 10月 すでに根強い公務員志向:追悼コンで「洞爺丸に散る」 ▼10月8日付=士別高校の明春卒業の就職希望というのが載っているが、就職希望者77人のうち公務員希望は44人。半数以上が公務員を占め、この時代から不況に強いといわれた公務員志向が強かったのをうかがわせる。 ▼10月16日付=台風15号の被害総額が出ている。総額2億3千万円。 ▼10月20日付=洞爺丸とともに海底に沈んだ浅野博さんの追悼音楽会が18日、しめやかに行われ、市民 の涙を誘った。この日にNHK専属のアコーディオン名手山田春男氏が浅野さんのために作曲しささげられた「洞爺丸に散る」の発表があった。1月から9月までの交通事故状況が載っているが、この中で車馬事故というのがあった。当時はまだ馬車の通行は日常的なものだった。【広告余話】 この頃のパン屋さんの広告に「花は聲(こえ)なくして人を招き/優れたパンは/聲なくして客を招く」というキャッチコピーがあった。今でも使えそうなフレーズである。このパン屋さんは現在も開業している。 「オロナイン軟膏」の広告が出ている。この軟膏は昭和28年に登場した。この広告と抱き合わせでなぜか「君の名は」と書かれている。「君の名は」はラジオドラマ。日本中の女性をラジオに釘づけにした。「君の名は」のCMがオロナイン軟膏だったのだろうか。 当時の上映映画に「新婚たくあん夫婦」というのがあった。どんな映画なのだろうと調べてみたら、佐田啓二や笠知衆など名優が登場している。 (写真=浅野さんの追悼コンサートの様子) |
■ 01 病院全焼、未曾有の洪水 |