![]() 第2次世界大戦の傷跡がようやっと癒えはじめた昭和20年代末、昭和30年代から半生期が経過しました。この間、道北地方も大きく変遷を遂げました。自治体合併論議や農協合併の具元など地域の枠組みも新しい時代の到来を予感させています。そこで本紙では50年前の道北日報紙面をひもとき、この地方の動きを見つめ直してみたいと思います。なお、この連載は随時掲載します。 50年前の道北日報紙面から |
|
■昭和30(1955)年 2・3月 加熱!ミス職場人気投票:野犬掃討で142頭 ▼2月3日付=旭川―稚内間にディーゼル・カーが走るため、その試乗会が行われた。この頃はまだ蒸気機関車だった。ディーゼル・カーでは士別―名寄間の乗車時間が従来のほぼ半分に短縮されている。人口動態が載っており、この時代、士別地方は1日4人が生まれている換算。▼2月13日付=ミス職場の首位争いは道銀と旧拓銀で働く職員の一騎討ちの観を呈してきた。市民の関心も高まり、加熱してきたのか、新聞付きの投票用紙も2枚から3枚に増えている。 ▼3月6日付=一般乳牛飼養農家が自宅で搾乳した牛乳を病院や民間に売り歩いているとして、士別保健所がいっせい取り締まりを行い、24件の違反者が摘発されている。 ▼3月9日付=ミス職場の戦いはさらに加熱。情勢は銀行同志の一騎討ちから大きく変化し、専門店、道銀、法務局、呉服店、拓銀、議会事務局で働く職員の順。銀行員や公務員が上位を占めている。 ▼3月21日付=ミス職場の投票が終了。トップは5633票を集めた。道銀の職員だった。士別高校の修学旅行が報じられている。19日から30日までの11日間という長丁場。京都や大阪は遠かった。 ▼3月28日付=士別市が行った野犬掃討で、実に142頭も捕獲されている。 【広告余話】 ミシン屋さんがオープンしているが、シンガーミシンの他にパインミシン、リズムミシンというのがあった。 「親はなくともヒヨコは育つ」というヒヨコ電球というものの広告があった。 本紙が「スライド放送係」の職員を募集している。前号でも触れたが、スライド放送とは何なのだろうか。 |
■ 01 病院全焼、未曾有の洪水 |