![]() 第2次世界大戦の傷跡がようやっと癒えはじめた昭和20年代末、昭和30年代から半生期が経過しました。この間、道北地方も大きく変遷を遂げました。自治体合併論議や農協合併の具元など地域の枠組みも新しい時代の到来を予感させています。そこで本紙では50年前の道北日報紙面をひもとき、この地方の動きを見つめ直してみたいと思います。なお、この連載は随時掲載します。 50年前の道北日報紙面から |
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■昭和30(1955)年 6・7月 市内の速度制限が30キロに ▼6月9日付=昭和29年度の人口動態が出ているが、旧士別保健所管内で結婚が540組(このうち士別市316組)にも達している。現在士別では年間で婚姻届けは90件程度なので、当時は結婚式ラッシュともいえる。一方離婚は23件。離婚の方は前年度の半減とのこと。この頃も開拓入植が続き、20人の申込みがあった。 ▼6月22日付=給与事業所得ベストというのが掲載されている。年間給与所得者のトップは420万円。この人は民間企業で東 京に本社のある事業所の所長。事業所所得では呉服商の経営者がトップで138万円。▼7月3日付=市制施行後1周年がたち、上士別、多寄、温根別のそれぞれの町の表情を追っている。 ▼7月6日付=3日から4日にかけ士別地方に173ミリの大雨が降り、農業に大きな打撃を与えた。ヤナギの樹に23人が鈴なりになって救出を待つ事態も発生した。無事救助されたが、鉄橋も流されるなど、水魔の恐ろしさを伝えている。この時の損害額は5億4千万円。 ▼7月9日付=市内の飴製造業者が夏でも溶けない飴(アメ)をの製造に成功したと報じられている。当時の飴は夏場になると、溶けたしまったらしい。 ▼7月20日付=これまで無制限だった車のスピードが市内では時速30キロに制限された。 【広告余話】 スマートボールが登場。20円で家族中が長時間遊べるというのがうたい文句。 ビリヤード場も登場。 |
■ 01 病院全焼、未曾有の洪水 |