![]() 第2次世界大戦の傷跡がようやっと癒えはじめた昭和20年代末、昭和30年代から半生期が経過しました。この間、道北地方も大きく変遷を遂げました。自治体合併論議や農協合併の具元など地域の枠組みも新しい時代の到来を予感させています。そこで本紙では50年前の道北日報紙面をひもとき、この地方の動きを見つめ直してみたいと思います。なお、この連載は随時掲載します。 50年前の道北日報紙面から |
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■昭和30(1955)年 7・8月 1日2・3人の赤ちゃんが誕生 ▼7月30日付=士別市では赤字財政再建整備計画実施のため、市税3600万円の整理のために職員総動員で徴収に乗り出した。世はバイク時代ということで、市内10数社の販売会社が売上合戦でしのぎを削る。▼8月10日付=1月から6月までの士別市の人口動態がまとまっているが、この時代、士別市では1日に平均2・3人の赤ちゃんが生まれている。 ▼8月15日付=剣淵川で灯籠流しが行われた。 ▼8月21日付=660戸の家屋浸水による水害が発生している。こうしてみると、この地方はこの頃、毎年のように水害が発生していることがわかる。中央公民館でレコードコンサートのお知らせ。LP長時間盤とある。LP盤が出始めた頃か。当時の職業案内をみると、美容師さんは住み込みで月給3500円程度。住み込みというのがけっこう多い。 ▼8月25日付=和寒町の除虫菊が活況をていす。 【広告余話】 「道銀に3分の1の預金をすると、発動機が手に入る」という広告があった。詳細は最寄りの農協へ、ということから、農協はまだ金融事業を行っていなかった。質屋さん開業など、この時代は質屋業の広告も多い。 ビリヤード場も登場。 |
■ 01 病院全焼、未曾有の洪水 |