<オーストリア共和国>
面積が北海道とほとんど同じ8万4千km2、人口は808万人、国名のオーストリアは「ワインがおいしい処」の意味であるという。
<ウィーン市>
人口160万人、90万世帯
北海道が国として成り立っているような親しみを感じる国である。又世界有数の観光地、モーツァルトやベートーベンを輩出した音楽の都としても有名である。勿論ウィーンフィルハーモニー<館内→>は世界の音楽家の目標となっている。
(今回の調査に当たっては、日本からファゴットの奏者として留学し30年以上ウィーンにて音楽活動のかたわら、通訳やCMタレントとして活躍されている長倉氏にお世話になりました)
外務省、東欧課の坂本氏の尽力により、ウィーン市役所都市開発・都市計画局アイグラー氏と面談、ヒアリングはできましたが、金曜日の午後2時30分からとのことで1時間(普通役所は金曜の午後からは休みが多いらしい、実際人影はほとんど見なかった)しかとれず、もっぱら長倉氏の立場からの解説に頼るところが多かった。
ウィーン市の都市計画その歴史
ウィーン市の街づくりは、1857年から本格的に始まったといえます。それは城壁を取り払った事が全ての始まりだった。跡地に公共的な建造物を配置した、国会、市庁舎、公園、アパート(この場合は高級であった)、高級住宅等です。
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| <郊外の「森の都」> |
1905年、現在では「ウィーンの森」の守護者とまで言われている市議会議員"ヨーゼル・ショッフェ"氏の懸命な運動によってウィーンの森は自然保護地帯に指定され現代へと引き継がれているのです。
しかし、1918年〜1920年には、このウィーンの森に貧しい人々が違法に住居を建て、自給自足の生活を始めてしまった。日本では考えられないことであるが、1929年に合法化され、今日では逆に景観保護地域として、ドナウ川流域やウィーンの森内に美しい集落を形成しているのです。
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| <立ち並ぶアパート群> |
都市政策(街づくり)は住宅政策である。1930年には1kmに及ぶアパート1600世帯ができ、第1次世界大戦後には6.3万戸、1949年には16万戸の市営住宅が計画的に建設され、今日ではウィーン市内の4戸に1戸は市営住宅であるまでになっている。このことにより、オーストリア全体の住宅費が低価格となり、又、乱開発の防止、景観の保護、美しい街並みの形成が可能になっていると考えられます。因みに、ウィーン市の予算は、景観保護、住宅保護地域に300億円、個人住宅対策にも同程度の予算を計上しているとのことです。(市営住宅の家賃は55m2〜70m2で、¥2.5万〜8万)
「ウィーンは一日にして成らず」である。
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| <ウィーン市役所、都市開発・計画局 アイグラー氏> |
オーストリアは、反原発の国というより必要のない国である。なぜなら豊かでゆったりと流れるドナウ川に発電の全てを任せていられる国だからであるとのこと。実際、原発を造るといった大統領は見事に落選したそうである。 |